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今更シャンバラ考察~彼はなぜ泣かないのか~ 

シティのアフターに集まりがあって。
その時S・Rさんのお話に触発されて。
今更シャンバラのあの重大なシーンについて考察を述べたいと思います。
本当に今更で。だれか同じこと、書いてるかもしれない。
書いてるかもしれないが、私は読んだことがないので書いてみます。
・・・・映画ネタバレだから。というか映画を見てる前提で話を進めるので、映画の情景説明はあまり加えておりません。ずびばぜん。

私は、ただ単にどうしてエドが駆け寄らなかったかという答えはただ一つ。駆け寄らなくても、ハイデリヒが死んでいるということを、エドが理解したからだと思う。
エドは、人の死というものを知っているから。
女は、駆け寄るかもしれない。それは女は肉体を生み出せるから。
でも男は女のように肉体は生み出せないのである。
男の中で、魂があってこそそれは人間であり魂がないものは物なのではないだろうか。死んでしまえばそれは肉片なのである。
でも、女は違う。魂があろうとなかろうと腹を痛めて人というものを生み出す。人の肉を作り出す。だから肉体になお価値を見出すのではないか。
もしも、ハイデリヒが瀕死の状態でまだ息をしていたら。
エドは形振り構わず駆け寄っただろう。だが、ハイデリヒが死んでしまったとわかる状態で、それができるほどエドは既に子どもではなかったということだと私は考える。彼は、既に立派な大人の男だったのだ。
それをハイデリヒの骸に駆け寄って泣いて欲しいというのは女の抱く幻想だと思う。男は本当の消失の時、泣けないと思うんだ。

私の父は既に両親を失っている。その時のことを思い出す。祖父は唐突に亡くなった。前日まで元気そのもので、病気もしていなかった。誰もがその日、その瞬間に亡くなるなんて予想できなかった。連絡を受けたその時、父は驚くほど冷静にことを運んだ。涙を出している私や母を尻目に本当に淡々と。私はその様に憤りさえ覚えたほどだ。そのとき私は「なぜ、泣かないのか?悲しくないのか?」と言ってしまった。私は怒鳴られた。
葬式の間も、喪主として本当にすべてを滞りなく行なった。怖いほどに。
でもね、葬式の後。家に帰るとき、みんなが寝静まった車を運転しながらぽつりと言ったんだ。
「父さん、家なき子になっちゃった」
私にだけに、そう漏らした。そのときに、唐突に感じたのだ。父は悲しがっていると。でも泣けないのだと。責任とかそういうのじゃなくて、戸惑って泣けないのだと。
すべての男がそうであるとは限らないことはわかっている。
わかっているが、、、。

私は、ノーアの問いに対してのエドの「どうしてかな」というあの言葉までで充分、彼が動揺しているのを表していると思うしそこまでしか描けないと。

あとエドの「等価交換か」っていうのは私なりの解釈でアルのあちらでの生存、存在、そういうものだと考えたい。アルがあちらの世界で生きる(存在する)条件は真理(門)を見たこと、禁忌を行なったことを忘れること。それを取り戻すということはあの世界から外れることなのである。全は一、一は全。その輪から外れてしまうことを彼らは行なったのだから、彼らはそこに存在することはできないのである。
テレビ本編最終話にホーエンハイムは言った。「お前が経験したことが」という言葉を思い出すとそういう風に捉えるのが普通なのだろうし、そう捉えてほしかったのではないかと私は思う。

私はこの「シャンバラを征く者」を見ていてどうしても鈴木光二氏の「リング三部作」の最終章「ループ」を思い出さずにはいられない。
あれも、結局「世界と個」の話だったからなぁ、、、。

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コメント

私の意見も同じです!

由宇さま
はじめまして(だと思うのですが…)。のわこと申します。
突然ですが、シャンバラの感想として、一時期(?)盛り上がったかの論争ですが、私も由宇さんと同意見です。というか、ものすごくシンクロしましたので、コメントさせていただきました。
そのころはブログも開設してなく、人様の意見を覗いたりすることも始めたばかりでしたが、当時「エドは冷たすぎる」といった意見が目立っていたような気がします。確かに、ハイデリヒがかわいそう、という表面的な(表現がちょっと違うかもしれませんが)意見、映画初見時の衝撃による感想も多かったという理由も挙げられるとは思います。
ですが、やはり、エドはおそらく想像を絶する2年間をミュンヘンで送るうち、われわれ(といってもいいかどうか分かりませんが)が思うよりずっと大人になっていたのだと思うのです。
「等価交換か」の意味は、いろいろに取れすぎて最初は分かりませんでしたが、今は、由宇さまと同じ結論です。最終話の部分も、とてもそう思います。
なんだかうまく言えなくて申し訳ありません。拙ブログでは、主に原作系の感想を書いているので、いつかシャンバラの感想も書きたいなと思っているところです。
シャンバラは、いろいろな意味で、私がハガネに真っ向からドボンとはまったきっかけでした。ハガレンピープルのTB記事から飛んできて、コメントせずにはいられなかったです。
胸のすくようなご意見、感動しました。
のわこ

はじめまして!

のわこさま、初めまして!
お名前は存じ上げております。いつもすれ違いといいますか、挨拶ができずに残念に思っていました。
コメント、ありがとうございます!

私もすごく、嬉しいです。
ぶっちゃけますと、この考えは映画公開時に既に考えとしては持っておりました。しかしなんと言いますか、なかなか言い出せず(苦笑)

当時のドイツ・ミュンヘンの情勢を考えますと、エドは目の前で餓え死んでいく沢山の人々を見、また物取りに刺される亡くなる人やビアホールで殴り合いのケンカの末、人が死ぬといったことは日常茶飯事だったと考えられます。なので、良くて「大人になった」悪く言ってしまえば「死に、慣れてしまった」と言えましょう。

等価交換についてはただただ、私の今後の創作活動をするためにそう、考えたいという私の希望的観点です(笑)
私は所詮、エドファンなので。ハイデは好き、だけどエドを責めることは出来ず、、、。そんなエドファンなのです、、、。

コメントの返信が遅くなり、申し訳ありません。
このブログでは1920年代ドイツに並々ならぬ追究を行なっております。もしご興味があり、お時間がありましたらどうか読んでいただけると嬉しいです。まぁ、大概エドvと叫ぶ記事と愚痴ばかりの記事ばかりですが、、、。
今後もどうかよろしくお願いします。

のわこさまのブログも読ませていただきますね!
では!褒めていただき、そして共感していただき本当に嬉しかったです!

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