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創作の神さま 

なんだか8日9日にまみさんとこに突撃っていう話を書きましたが。
なんと、その連休は「文化祭」だそうです。
・・・。
・・・・・・・。
い、いろんな意味で見てみたいわ。
エドとハイデの大学生活を妄想のネタに!!!<どこまでもネタか、、、

ってこのことをRママンとHパパンに教えたのさ。
「・・・じゃあ父さんたちも行こうかなv」
は?
はぁあああああああ!
や、やめてけろ。私はあくまで学術調査のためにまみの大学に行くんだ!!!(80%嘘)
つか、原稿やるんだから邪魔しないで、、、!


あぁ、でもなんだか絵の必要性をなんだかとっても感じなくなってきたので、、、正直にどうしようなぁ、、、なんて思っていたり。
ぶっちゃけ写真資料は多いことは多いけど、わかりやすいのっていったら数点しかない。
あと言われちゃったんだよね、文章で説明してあるのをわざわざ図解にしなくてもいいんじゃないの?って。


そういや、「神が降りてこないかなぁ、、、」ってこの前言ったらめっちゃ怪訝な顔をされた<ちと凹んだ(笑)
はれ~?文章書くのってかなりノリとか想像力がないとできなくないかな、、、あと適切な言葉がすんなり出てくるとか(それは語彙力が乏しいのが原因)
まぁ、今回私が出そうとしている本が本だけに資料さえあればっていう側面があるけどその資料群をどうやって編集するかとか、その資料をどのように繋ぎ合わせるかって結構悩むのです。あと、こんなこと書いたら少し学友に蔑みの目で見られそうだけど歴史学ほど学問なのに想像略を必要とするものはないのです。
歴史資料って断片しか出てこないもので。その断片を補うために色んなところから資料を持ってきて。最終的にその資料たちを繋ぎ合わせるのは人の想像力なのである。(歴史学者はどれだけその想像力が独りよがりになっていないかって常々怯え考えながら研究している)
どんなに資料があってもそこに意味を見出せなければ価値もなにも生じないのである。意味を見出すのは演算機でもなんでもない、人の主観であり感情だ。

しかも、これは私が馬鹿なだけだとわかってるけど私はできるだけ引用文っていうのを使わないようにしてる。
引用してしまうのは本当に簡単。でもそれをどのように噛み砕いて自分のなかで理解して、それをどのように使うかによって違ってくると思うんだよね。
それにそれが一番、己の理解力を高める助力になると思う。
ただ、丸写しならその時がーっと何も考えずに書けばいい。
でもそれって得てしてその場限りの知識になりかねないのね。
後々、質問されても自分で考察したことじゃないから残ってない。
正直それが私には耐えられないし、怖い。

めっちゃ遠回りなやり方なんだと自分でも薄々感じてるけどね、このやり方は。効率的じゃない。でも。
私は歴史学をきちんと学んで、それをきちんと伝えていきたいんだ。
これがどんなに傲慢なことか、わかっているのだけれど。


そういや、9月のブログ記事なんだけど。
どうもこの記事で70個目っぽい。
一日二つ以上記事を上げていた計算。
あーた、いくら大学なかったからって上げすぎ!

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