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明日はベートーベン! 

明日は第九を大きなスクリーンで見ながら聴いてくるデス
えぇ、「バルトの楽園」です。

某Sさんとことかでコメントに、「逝ってきます!!!」と書いたくせになんだか寝込んでいることが多くて、、、。
でも、なんとか、なんとか試験を乗り越えたので。
明日は渋谷で朝から映画です。
あと、アニメイトに行ってバースディアクセサリーを取りにいくとです。
ちなみに自分の誕生日のは結局予約しなかったよ。
あれって予約しなきゃ買えないのかね?
・・・もう、いいけどさ。
一先ず、学友たちにあげるヤツを取りに行くのです。
28日の金曜日に何人かには会える予定なのでその日に渡すさ。


今日は西洋特殊講義の試験でした。
えぇ、例の「1920年代のドイツの若者」。
あはは~、実はこれは出題される問題が前もって発表されてる試験だったのです。
ですがね、学友よ。昨日の私を見ちゃっている学友よ。
私は、そんなことやってませんでしたよね?
レポを諦めた~ふふふ~と妖しい笑みを浮かべつつ(明らかに死相が出てます)「もうダメ~ははは~」
・・・そして。
私は前準備も何もせずに試験に臨んだのです。
わーい!冒険者、冒険者!!!
しかし。
、、、。
うん、、、。
書けた。書けちゃった。
ちゃんと、書けた。
もう書き出したらすごいスピードで埋まっていく解答用紙。
つーか、あと10ページは書きたかったよ!!!(爆)
というか、書きたかったよ、、、ハイデリヒ。
えぇ、私その授業で出てきたドイツの若者はすべてハイデリヒ変換をしておりました。ハイデリヒとエドにすべて勝手に変換。
・・・つまり。
萌えでなんとか、乗り越えちゃいました。

心底思った。

萌えは偉大だ。


授業に出てた分のものは全て頭に入ってました。
やはり興味のあることは記憶に残ります。
うーん、でも書いたことは具合のよかった時の授業内容だったからなぁ。
具合が悪い頃に受けた授業内容はさっぱりでした。
全然、出てこない。記憶に入ってない。
・・・・・
ちなみに後期の授業はヒトラーユーゲントについてをやられるそうです。
・・・・・・・・・
絶対に、夏の間に完治してみせる。
萌えの名に懸けて!!!<今の子に知らないって言われそうだな!

Rママンとラジオについてのジェネレーションギャップと若者の一昔の議論をしました。
既に、私も昔の人、、、となっている事実に泣きそうになりました。
その話で飛んで、今うちの実家の近くにある田んぼでカエル取りやザリガニ取りができないそうです。
どうも子どもがわだちを壊してしまったりして田んぼ所有者に迷惑をかけてしまったり、危ないからだそうです、、、。
ごめんなさい、私はその危ないことを平気でやってました。
ただ、わだち破壊っていうのはちょっとびっくり。それってわだちがどういうものかちゃんと教えてないから壊したりしちゃうんじゃないの?
とか、もっと年長の、それこそ夜歩きするような輩が深夜に壊してるんじゃないの?と疑問を覚えた。
とうとう、これでうちの弟Kと私の懐かしきあそびが食い違うことに。
私は、カエルを取るために、ザリガニを取るために緑のフェンスを乗り越えて、セメントに打ち込んである鉄のはしごを降りて川底まで行ったりした。しかし、弟Kは外では遊ばず、友達と遊ぶにも屋内。
私は、なんだかんだ言って母親に負担をかけたくなかったので外で遊ぶように心がけていた(当時Rママンは妹Nの面倒を見たりと大変だった)。
母曰く、「子育てをしていて、自分の子どもたち世代的な隔たりができるとは思ってなかった」そうだ。
私だって、そう思ってなかった。確かに6歳年下の妹Nに関して言えば私と妹Nの間には隔たりがある。しかし妹Nの遊びの内容を私が知っているのと同様に妹Nも私の遊びを知っていた。
しかし、どうだ。私の遊びを弟Kは知らないのである。
話でも、名前さえも知らないのである。
ある種、それは覚悟していた。覚悟していたからこそ私は遊びを遺すために「天の園」の会の活動に参加していたと言っても過言ではない。
なのになぁ、、、とうとう来た。
知ってたはずなんだけどなぁ、、、やっぱりこうやって直接聴くと悲しいです。
・・・大学が終わったら。いや、もう今から始めたほうがいいかもしれない。私は私の世代の遊びについて何か記録を残しておかないといけない気がする。まだ、大人になりきれない、あの頃の記憶を鮮明に覚えているうちに。今の常識に捕らわれる前に。全てがなかったことになる前に。




あなたは、大好きだった遊びを思い出せますか。

その遊びは、今も残ってますか。
その遊びは、次世代の子に継がれてますか。

その遊びは、我が子に託せましたか。



危ないからと遠ざけることは正解ですか。
反対に、危ないことを危なくないようにしてあげるのが
先人の役目ではありませんか。
一緒にいて、子どもを見守りつつ
危なそうなら声をかける

確かに、確かに怪我をしたら。
万が一、命の危機にさらしてしまったら
責任問題になるでしょう。
でも、そこでなぜ責任問題が浮上するのですか
責任、責任、責任。
ここまで責任という言葉があふれている。
そして責任を逃れようと、必死になる、、、
そこに、怪我の痛みはありますか。
命の尊さはありますか。
命の尊厳は、責任問題で片付けることはできません。


親も子どものしたことに責任を取るのが嫌で
子どもを部屋に閉じ込めてませんか。
「子どもが部屋で遊びたいと選んだ」
子どもに選択肢は残っていましたか。
子どもは大人の、特に親の気持ちを見通せます。
子どもは親が大好きで、親が嫌がることは比較的に嫌いです。
親が一瞬でも嫌な顔をすれば、子どもは敏感に感じるのです。
これは昔からの、人類が生まれてもった習性である。
子どもは、ひ弱な状態で生まれてくるから
守られるために笑います。
守られるために泣きます。
守られるために怒ります。
なぜなら、子どもは弱いから。
子どもは自分を表現する言葉を最初から持ってはいないから。


子どもの喜怒哀楽がわかりますか。
子どもがどうして泣いているかわかりますか。
子どもがどうして笑っているかわかりますか。
子どもがどうして怒っているかわかりますか。


私はわかる、大人になりたい。


質問形式で終わるのはかなり卑怯と思われ自分のことを最後に。

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